愉快な空気達

2.3年前に廃棄ブログとして捨てた場所を時々使うマン2017

disesteem

 基本的にはより近似であると互いに認識した情報を共有し、相互作用を踏まえ解像度を上げていく作業が常々行われている。動作的には感情の色合いが強く現れる場面であり、より高次的な意思の介在が無い限りは自身への負荷が少ない選択肢が取られる。今回は種別として『前向き/後ろ向きな感情』に分け、その中でも後者の後ろ向きな感情が大きな要素にある。

 自身の発信した特定の感情はより集合性の高いコミュニティサービスである程巨大な集積物の一部になる。しかし、それを忌避しより閉鎖的な環境下で行うとしても当人の中にある負の感情となる部分の他者との相互共有はより強く行われる。コミュニケーションによる相乗効果が原理であるとするならば、それは1対1の関係でさえ効果を生む物であり、集合体の1であった物より先鋭化された方向を獲得する傾向にある。

 準閉鎖的環境下の情報の循環は遅れを取る。これは情報化社会におけるネットワークからの断絶に近い動作になる。情報の摂取による負荷への許容値は個々人により差があり、様々な環境においてそれは変動する。それらは容易に可視化できる物とは言い難く、過去を区切った中での記録を参考に推測を行う、実際に行う等によって表層に近い部分に出てくる(ここは他の様々な物事にも言えることではある)。

 自己否定の要素と自身が社会において一般的であるという認識の共有の混同が存在する(これはそのこと自体を否定する物ではなく、ただそういう物があるという意味)。自身の中で『これはある社会的な要素である』とする自身の備えた部分に対する認識とそこに対する否定的な印象は、その要素を持つ自身と自分以外のその要素を抱えていると捉えている人に対して向けられるようになる。

 まぁ、『人とは他者を見て自己を認識し自己によって他者を認識する相互関係を持っている』的な話ですよね。なんでこれ書いてたのかはちょっとよく覚えてないけど具体的な話があったのかもしれないす。多分なんか嫌なことがあったんだろうな。取り敢えず終わり。