愉快な空気達

2.3年前に廃棄ブログとして捨てた場所を時々使うマン2017

棒読み書き

 最近誰も見に来てないから逆に何書いてもいい感じになりましたね。こういう所で弱音を際限なく吐き出してみるのもありなんですが今回は無しです。


 映像というか作品というか、映像作品というか、つまりはそれら辺りの人を惹きつける物とはという話で、ただ1つ言うのであれば飽きさせないことは高い比重を伴うでしょう。ワンパターン、単調、視聴者にとってそれらに類する物は避けられるべきとなっているのではとも。あと今回は基本的に言いたいのが棒人間のバトルとかの話です。

 例えば、棒人間が何をしているかという部分に焦点を当てると、手足が短かったり頭身が低い等の情報がより省略された棒人間は飽きを呼び込み易い物だと私は捉えています。情報量的に主役に魅力が無い1点になると。

 表現に対する限界を論じる時は、これはもう学識やらなんやらを絡めない感覚で言うのであればそれはお前の限界だ。ってやつです多分。平面なり立体なり、3次元的な物を書く事での処理もまた個々人で限界があるので下底と上底の対比みたいで綺麗ですね。

 棒人間単体に込める情報量は大事だと思っています。これはキャラクターに何をさせる事ができるかって所ですけど、動作のパターン化ってそりゃ望まれてないですよね。頭ん中に負担かけてグングン考え込ませて書いてく訳で、まぁ負担をかけて消耗させて削れていこうね。さっさとくたばろうぜ。お前がくたばるかはわからんか。

 何時かに語ったすぱ式やらとかと一緒に本来はやるつもりだった話です。棒のバのトとはなんぞやと定義については意味が無いからやめろカスみたいに思われがちだけど、語義に込められずとも含まれているのはつまり固有的な部分を挙げていきゃ、アリの巣断面図みたいな擬似平面がある訳で、これであるとも言い切れるし、これが無くてもよいみたいなそんなの。知らない奴が適当にここから脱却しろ、抜け出せみたいにほざいてくることもあるしそれは事実客観としてある様ですね。それの有用性はともかくとして。


 ここからはぼんやりとした残骸を書き出して取り敢えずいつかの情報の糧になるといいなのコーナー。
 まずはWUGのKBN文化変遷の一視点解釈的な。敬称略事前書き込みで敬意を濁していきたい。
特に大きく脈を分けたのはSHIROからですかね。ディティールを増やした架空武器とか画面に増やす謎ゲージとか。
ここからあるけむでまた大型化した変形を簡素に落とし込む、シアター時代の現実兵器のシルエットを象る構造を使う形になってると思います。これが各部分をパーツ化させてゲームグラフィック的なアニメーションへと拡張されてたりするのもあるんですかね。
更にもう1段階のステップアップを経て完成させたのがZYESのビオロンの緩急も取り入れたタイミングでしょうか。棒人間の基本的に彩色の薄くなりがちな部分にシルエットとして並ばせることで言ってしまえばチープ的な噛み合いがキャッチーな所じゃないかなと。
ざっくりとこの3ステップがWUG内での変化だと思うんですけど、このシルエットを使うって部分が割と浸透していたのもmad angelのnew wavesへの食いつきが良かった所の一因だったりするんじゃないですか?知らんが。

雑に書き終わってしまったな。誰も見てないけど誰かに見られたら怖いですよね。なんか毎月1回みたいなルールが自分の中で勝手にできそうだったので今月はそこを打ち破りたい的な。頑張ってください。それではまた次回。