愉快な空気達

2.3年前に廃棄ブログとして捨てた場所を時々使うマン2017

stand up to the V

TS作品が…多い!
流行り廃りがキャラクターじゃなくて作品の性質辺りでの方向性になってるのオリジナル作品が増えてきたからだよなぁみたいな推定。
強キャラオリ主を立たせて全員ブン回していくいつもなのが大体なのでここら辺って人気作からのラーニングをし易いのがそのまま触り程度の文の作りなら結構出来がよくなるみたいな感じなんですかね。
ここからちょっとだけ主人公の話
物語における竜骨?的な奴。あやつ。そいつを動かす為に世界が組み上げられている的な。作品は増えてゆきある程度の最適化が進む今だと主人公とは道筋が規格化されているような気がなんとなく。
俺としては、物語の中の駒の1つに読み手が視点を下す存在以上の物ではなく、舞台の中の大きな渦に全てが飲まれていくようなのが好きです。これデュラララとかバッカーノのせいだな多分。
作品のテーマ諸々に作中のキャラクターの人間性が別のキャラとは育成環境が殆ど変わらない筈なのに理由もなく低めに作られたりするのはリアリティ的な部分で自分の許容量が大分低いなとは思ったことがあります。
ここで言うのは本人の素養がどうであるかというよりも倫理観の成長とかで舞台的都合で頭が弱くなるのは嫌だなぁみたいな。一貫性の無い情報とか?そんなの
人間の愛だの恋だのはその感情が起こってからがスタート地点みたいな扱いがあるのでそこまでの上昇補正があるみたいなのもムカつきますね。


ここから大分話は変わるけど他者に対する感情の最上位に愛だの恋だのがあるのがムカつきます。
感情に対しての熱量の変換効率的にそれが1番素晴らしい物であるのかとかそんなわきゃねえだろ〜って思うし親愛はちょっと話の流れとは噛み合わないから関係ないけど全ての他者への意識の感情が正の方向に向いたら恋愛感情になるみたいなのは面白くないです
更にここから今から言うことにつなげるのはとりわけ面白くないんですけどこの感情の変遷って理性よりも本能的な動きをしてませんか?それだけの事を言う罵倒程度にしかならんけど。
ただ、この本能的な感情の変化は基本愛へと変化するみたいなのは割とあるような気がして、親子の関係なんかはこれに近い物を感じます。子供の親に対する感情ってそのコミュニティ内での自身のいる価値を見出そうとする動きがあると思うんですよね。この誰かの役に立ちたいって思考は存外動物的な生存を図る為にあって、実の所これ自体は人が長い間抱えているんじゃないでしょうか。それこそ老いを経て生存のサイクルとは離脱するまではあるんじゃないかな。
話は少し戻って子が親に抱くのは集団生活の中で見えてくる上位者、長に対する服従や恐怖である方が近いような。
これを動物的な性質が愛や恋に感情を挿げ替えてるんじゃねえのこれみたいな考え方はあります。子の精神的許容値が限界を迎えると泣くの、孤立への恐れでは?そんな話。

スドゥラドデドンツヴァイが楽しいです。
スプラトゥーン2のことです。
フェスお疲れ様でした。フェスがまたやるとのことで初めて買って遊びましたが、カジュアル方面に舵を切る三人称STGってそもそもそのカジュアル性をどう作るかが肝になってくるんだなぁとかがデッカい感想です。
銃器のデザインを作品内でいかにして弱めるかってのは比重強めなんじゃないですか?知らんけど。
フォトナもやりたいんだけどちょっと家のテレビでは遊び辛い雰囲気があって遊べないんだなぁ
ゲーミングPCクラスのプレイ動画とか見ると欲しくなっちゃいますね。有線引く作業とかも面倒くさいけど。それよりもPC周りが面倒くさいだろうけど。

最近Twitterの方で無言で投げたアレが、割とずっと尊敬してる相手から好意的なリアクションを貰えたのは自分の人生の中で1つのエンディングみたいな部分になりました。久し振りにこういう感覚を得たと思います。4〜5年振りかな。エンディングの後もまだまだ続くといいなぁ?
また次回