愉快な空気達

2.3年前に廃棄ブログとして捨てた場所を時々使うマン2017

齷齪hopper


映画大好きポンポさんの映画を見ました。
原作付きの作品って語るとしたらやっぱり原作との差異で何があるかみたいな所に注力するんすかね
映像化部分がそのままバズった公開部分で今もpixivに置いてあるからそこら辺はかなり参考にし易かったり。


アニオリが原作と繋がるフックが『目の光』、そして2巻以降になる魅入る物を見つけた人の自我の狂い様を1巻部分の時点で仄めかす形にしてるんですかね。
目の光、アニオリを構成する要素を主人公にとって輝きとして捉える事で作品内において障害である事を示してくれるのでここは好きです。原作には無い緩急があって。
映画に対する自己投影の件は個人的に嫌いですけど、ここで映画と制作を被せる事で執心の片鱗を見せる形になっている部分は挿入曲の『例えば』で盛り上げていたのでそういうシーンとして楽しめました。イメージ編集カミソリはアニメーションとしてアクションを用意してくれたんだなってのはあります。勢いが入る前にキーボードやたらめったらガチャガチャやるのはサビ部分でもっと動作を絞ったリアリティのある動きになってるのもあってちょっと苦笑いが出てしまった
元妻のモノローグ、映画っぽくなくて嫌い。あそこは表情と回想も映像だけで魅せる方がそれっぽくて好きかなぁと。娘の言動、納得できるけどもう一個文脈が欲しいチグハグ感が原作付きのオリジナル描写でよく見るやつですよね。


完全オリジナルキャラクター銀行員パート。
展開として並行して進む話になっている、その視点が尊重される物である。って形になってるのがかなりキツかった。オリ主オリキャラパートのキツさなんですよね。そうなんですけど。お偉いさんの鶴の一声、適当に思いついたキャッチフレーズ、破天荒振りに昔を思い出す重役、融資決定と共に上に投げ出される資料。滅茶苦茶キツイけどまぁ前述のアニオリ部分が障害であるというのがここに掛かるのであれば…掛かってるといいですけどね。ここまで舞台装置的な存在が出てくるまで大きな場面になる重要性が元同級生をもう1人の主人公として立てる為っぽい形になっちゃうのが、なんというか。
夢に対して数字で見せる形だけで充分だった気がするんですよね。制作陣へのインタビュートレーラーとそれを踏まえたCFを提示するだけで。現場の要素を生中継で無理矢理そこに引っ張ってきた感じがあってモヤモヤしました。
ここやっぱり何かしらの柵なんですかね。
強いて言うのであれば『特定の1人』の為にピントを合わせている物を1人の観客として『誰か』に伝わる物として一方的に受け取る事の変容性は結構気持ち悪くて良かったです。ジーンに影響を与える相互的な変化じゃなければ


原作の映像化としての部分はそりゃ良かったと思います。擬音をエフェクトに変えるのはアニメ的で、文脈の混ざらないオリジナルとしてある水溜まりで跳ねる姿を捉えるシーンは絵として綺麗だったし。
原作の良さを映像化しつつ、微妙にある面白くなさが原作を引き立てるのにも一役買ってると言えばまぁ良い感じなのかもしれません
表面をなぞった時に出来上がる綺麗さは特に銀行員パートが大分でっかい公共的なテーマを引っ張り出したのもあってかなり触りが良いんですよね。
続編を作れたとしたらこれ全部滅茶苦茶にしてより強いエゴが垂れ流される様を強調できるんじゃないですかね。そういう感じだと続編作って欲しいかなと
クリエイター礼賛的な味が薄まってる感じがあるのもそれならアクセントになるんじゃないすかね。実際そういう見立てなのかもしれない

『目の光』アニオリでの撮影シーンの微笑ましさをゴミに変える苦しさを自我が塗り潰す決断、前振りにナタリーの個人的な感情を出す動き、陽的な物作りの綺麗さを作る事とそれを潰してこれ以降のジーンの表出に段階を加えていくって形と見るならここはキメのシーンの情報量として気持ちよかったです。後発だからこその続編の要素を先走る構成。楽しいですよね
この時裏で走る『例えば』の歌詞は逆に原作のジーンとポンポの感情の行き交いに近い気がします。話としてのまとまりがかなりシンプルだからってのもあると思うけども。
それはそれとして、歌詞と作品の連携って基本的にはシンクロする事にそんな気持ち良さを感じる人間ではないので別にって感じなんですけど。


セッションは107分。
また次回。